2015年6月1日月曜日

地政学リスクの基礎知識(2)世界は不安定になった

(1)冷戦終了後の世界は不安定になった。


宗教と民族に関するイザコザは、太古の昔から存在している。


20世紀の冷戦時代は米ソのイデオロギー戦争だった。
第二次世界大戦の直後から始まった「冷戦時代」は、・・・・ベルリンの壁、東西の対立、資本主義と社会主義の戦い、朝鮮戦争、キューバ危機、第三次世界大戦や米ソ核戦争という恐怖、そのような様々な恐怖と不安に満ちた「危険がいっぱい」の時代だったが・・・・政治体制や地政学的なリスクは安定していた。


米ソという親分が、子分国家の箸の上げ下ろしまで監視していたからだ。つまり、東西陣営の親分たる米ソが、配下の国々が抱える宗教や民族にからむ複雑な問題に起因する紛争の勃発を力とお金で抑え込んでいた。


冷戦が終結し、イデオロギー戦争が終わり、それに付随した「米ソの締め付けとお金のバラマキ」が終わると、数百年前から続いていた宗教や民族の問題が前面に出てきた。

特に、1991年にソ連が崩壊して以降は、人類を滅亡させてしまう核戦争の危険は低下したが、世界各国の政治体制は不安定になった。 
そして、世界各地のイザコザを本気で調停する意思を持った大国は、現在では存在しない。

米ロ両国の力は相対的には低下した。最も重要なことだが、子分国家の面倒をみるだけの財政的な余裕を失ってしまった。
つまり、地政学的なリスクは冷戦期よりも高くなってしまった、それが21世紀の世界だ。


(2)ポピュリズムに汚染され、動けなくなった民主主義国家
先進民主主義国家に住む国民(=世界の中では裕福な人々)の中で、「富める者の果たすべき喜捨の精神」に背を向ける割合が増えている。


論点は、以下の様な部分だと言われている。
1:お金に余裕がないと国際的な視野で考え、行動する事が出来ない。
教育を受ける、海外留学、海外生活などを含め、外国の生活や外国人の考え方等との接触を経験しているか否かは、国際的な視野を持てるか否かの分岐点になりやすい。そういう経験を得るには、一定の「心とお金の余裕」が必要だ。

2:豊かになってしまったことによる弊害
発展途上の段階では国家が音頭を取って、豊かになるための国民運動を推進する事が多い。しかし一旦発展してしまうと、「国民運動的な頑張り」を忘れてしまう。そしてそれは、先進国に追いつこうと頑張っている海外の人々対する関心の低下につながる。


その結果、過去は裕福な国から無償援助を得ていた貧しい国家や問題を抱えた国家は、今では無償援助を得られにくくなっており、世界の中で「オイテケボリ」を食う可能性が高まっている。

3:「経済のグローバル化に背を向けることはできない」にもかかわらず、内向きの発言をする先進国の国民が増えている。
グローバル化の恩恵(安価な商品を買える)を受けていても、その負の側面(製造業の新興国への流出)だけに着目して海外を忌諱する先進民主主義国家の国民の増加は、国際関係を困難にしている。


4.先進国内での“国際関係に関する考え方”の格差の拡大
「グローバル経済、グローバル政治、世界の地政学」を理解して行動する余裕のある層(富裕層、企業経営者など)と、無関心で内向きの言動をする層との間の格差はさらに拡大傾向だ。
後者の人々は、国内政治においても無視される傾向が始まっている。


5.数の上では多数を占める中間層以下の内向き志向
民主主義国家の政治がポピュリズム(一種のモンスター・クレーマー状態)に汚染されて混迷している。 これは世界的な傾向になっている。

民主主義国家では、隣国のこと、世界の事を軽視し、自分の事を過度に政治家に要求するようになった。そして、政治家は広い視野で行動できなくなった、たとえ内心では崇高な理想を政治家が持っていたとしても。

先進民主主義国家の国民が、共通して思っている事は、
1.自国の状況には、重大な問題がなくほぼ満足している。
2.何故、他国の事にかかわるのか、そんな暇があったら、もっと自国の状況を改善することに注力してほしい。
3.自国の税金を他国にくれてやるなど、もっての外だ、
という感情だ。これが政治家の行動を縛っている。


6:先進国の中間層を覆っているのは、心の貧しさ

先進国の非富裕層の相当の部分は、途上国の中間層よりも遥かに裕福な経済状況にあるにも拘わらず、裕福さに見合う心にゆとりの心を持っていない。

裕福やゆとりを感じないのは、「貧富の差」の為だと言われているが、その格差とは、地球規模の視点ではなく、国内の格差、自分の交友関係内部の格差、隣近所との格差、そういう身近な世界で感じる心の問題に起因する。

そして、先進国は民主主義国家であるがゆえに、相互に内向きになってしまい、冷戦時代なら拡大を防げたであろう「地政学リスクの現実の戦争への発展」を止められなくなっている。