2016年8月31日水曜日

銀行受難は続く

世界的に、銀行はホント辛いね
金利低下、特にマイナス金利採用で貸出金利が猛烈に低下した。

借り手の企業は、長期債券の金利までがマイナスになったので、債券発行で資金調達すれば金利ゼロみたいなレベルで資金が調達出来る

預金は政治的な理由でマイナスにならないから、それを原資に融資をすると債券発行のような金利ゼロみたいなレベルを、銀行は提供できない

人件費とかシステム費用とかを考慮すれば、もう赤字状態


金利が正常な時は下図のように、買い出し金利>預金金利、なので、その差額でローン・ビジネスがエンジョイできる


金利が低下すると苦しい。
預金と貸し出し金利の差が小さくなる。
経費を削って何とかして利益を出すしかない。



しかし、
マイナス金利になり、しかも預金がプラスだと、ビジネスが成立しない。


銀行は融資ができない。
しかも、バブル崩壊後の規制強化でトレーディングでドンパチすることも派手には出来ない
銀行は不要です 、みたいな状態だね

預金をマイナスにすれば、融資も成り立つし、消費者も金を使うから、思ったよりも早く「2%インフレ」が達成できると思うのだけど、経済の算数では


今は、政治が経済を殺している状態だね、金融に関して

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2016年8月22日月曜日

2016年8月は過去と違う、、7月29日の日銀政策決定会合が引き金だったかも

日銀の金融政策決定会合(7月29日)だが、株式のETFの買い入れ増額はあったが。Jリートの増額は無かった。

日銀の買い入れ金額と株式&Jリートの時価総額&売買代金を比較すれば、Jリートの購入は株式よりも相当インパクトがる高いレベルに既に上昇していた。これ以上の増額は短期的には好ましくないとの判断が働いただろう。
 
また、これまでの株式&Jリートの相場状況を見れば、堅調なJリートに対し軟調な株式市場という構図であり、限られた資金を投入するなら株式市場だという判断も加わったのだろう。



なお日銀の緩和余地に関する議論が多いが、春山は「市場が緩和に強欲になりすぎている」と思う。

さらには自助努力を放棄して日銀と政府に完全依存する雰囲気をも案じている。
良くない傾向だと思う。




株式市場は、既に昨年5月以降、「日銀と為替」を徐々に悪材料として織り込んで相場は大幅に下がってきた。多分、割高感は消えていると思う。



一方、券と為替は「円高&デフレ=債券安泰」という反応に終始してきたので、リスク(金利上昇と円下落)を感じている。8月になって金利は下げすぎの修正(上図)が始まっている。
なお、
Jリートだが、株式では無いという分類上の理由から、銀行などの金融機関が相当買い込んでいるので、上値はあまり期待できないと思う。

なお、8月に入って相場の水面下では変化が生じてきた。
Quantsでも、8月は過去と違う動きになっていると聞いている。
2016年8月は過去10年の中でも「何か違う」ことが起こっているらしい。
これは重要なサインだと思う。春山は、日本株は徐々に上がると推定している。
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2016年8月21日日曜日

物と心の利害関係、政教分離

宗教が個人の心の中に押し込められたのは最近の事である。
少し前までは、宗教は生活の様々な部分と関係を持っていた。
冠婚葬祭から居住の可否、国王の選定までが、信じる宗教によって支配された。

その時代は宗教が物の利害関係に及んでいたので、宗教を変えることは頻繁に行われた。特に為政者は宗教を統治の手段として位置付けていたので、統治に有利な宗教への改宗が平気で行われた。

宗教が個人の心の中に閉じ込められる、つまり政教分離が欧米では近代化と認識された。

政教一致にこだわると、理不尽なこと、特に理不尽な戦争が多発して、国土の荒廃、人口の減少、経済の疲弊に直面したからだ。
理不尽な戦争の代表が30年戦争(1618~1648年)と言われている。

その詳細はウィキペディアのここにある。
きっかけは宗教だが、国民国家という新しい概念が宗教の呪縛から逃れようとする動き(特にフランス)と混然一体となって30年間もの消耗戦となったのだと、春山は解釈している。

( 30年戦争は、ボヘミアで始まった。その当時の様子 )

イスラム諸国は、程度の差こそあれ、いまだに政教一致を原則としている。
イランのように政教一致のイスラム国家で世界を統一する(=世界革命)運動を推進すべしという憲法を持つ国もある。
一方、エジプトのように比較的自由な雰囲気の国もある。

 

現在のイスラム諸国の国民は、全体としては政教分離を求めていないと解釈できる。
欧州の30年戦争みたいな何かをきっかけに、イスラム諸国の多数が政教分離を求めるようになるのかは、判定不能だ。
少なくともイスラム教の敬虔な信者は政教一致こそが正しく進歩した考え方だと信じている。

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2016年8月17日水曜日

同じ無給でも、派遣と地元代表では

中国において帝国が地方を支配する際に中央から派遣される知事のような人は無給だったという本を読んだ。

地方に派遣されたら、その地方を経営して税金を徴収して中央に税金を送る
その際、地方経営費用は控除して良い。
だから控除の際に自分の給料をそこから捻出するし、私腹を肥やす場合だって・・・

それが中国に脈々と続く「腐敗&不正」の温床なのだろうと思っている。
そんな制度なら、古今東西どこだって、と思っていたら・・・

イングランドも地方のボスは無給だった
そして割と真面目だったみたい。

イングランド人は善人で、中国人が悪人、、というわけじゃないだろう。
下記の本の該当ページを読んで思ったことだが・・・

派遣された役人の場合、一定年限でその地を離れる。
離れた後のことは野となれ山となれ、責任がない。
だから、派遣期間中は収奪、不正、腐敗、なんでもあれに陥りやすい

一方、地元の実力者が地方の政治のトップになる場合は、下記の本に記載されているように、地元住民との長期的な良好な関係に留意することになる。

つまり、
同じ無給であっても、
派遣役人と地元代表では天と地ほどの差
が出るのだろう


この本は面白いです。
ヨーロッパ近世の開花 (世界の歴史 17) 



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2016年8月16日火曜日

NVidia : AR、VRは、高性能GPUの需要を加速的に増加させる

前回の続きです

7月に出てきたポケモンGOは、さらにGPU需要を拡大させる




これまで、VR(Virtual Reality、仮想現実)とか、AR(Augmented Reality、拡張現実)とかは、ごく一部のマニア向けのものと思われていた。

しかし、ポケモンGO(←これはARです)によって、ARやVRは誰にでも親める身近なものだという理解が一気に進んだ。

ARやVRには高性能のGPUが必須だ。
それなしには、スムーズな画像描写が不可能なのだ。
だから、ARやVRが増えれば、高性能GPUの使用が大幅に増加する。

ポケモンGOは非常にシンプルなスマホ・ゲームだから、普通レベルのGPUで十分だ。

だが、今後増加が確実視されるアミューズメント・センターやPCや専用マシンでのAR&VRは、最高性能のGPUでなければ動かないと言われている。


ARやVRという技術を体験できる機会も増えてきた。
5月にサムソンのスマホであるギャラクシーを使ったVRの体験会(下写真のの左側)があったので、春山も行ってきた。

行く前と行った後では、VRに対する認識が大きく変わる。
体験すれば、これは素晴らしい! 
アミューズメント・パークに最適だ!

そういう確信が得られると思う。
   




また下は東京ジョイポリスで始まったVRゲームだ。 
知らずに、体験せずに、評価せずに、、まずは行ってみよう。
体験するに勝るものはないだろう




下の写真の上段 : 第三者が見たゲーム参加者の様子
下の写真の下段 : ゲーム参加者の見えている様子



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信じる者だけが救われる : amazon & Salesforce.com

AMZNとCRMに共通するのは、個性の激しいCEOが会社を引っ張り続けていることだ。



ジェフ・ベゾスと
マーク・ベニオフという個性の強いCEOの強力なリーダーシップが会社の成長を支えている。
足元の利益よりも「ライバルが追いつけないように先に先に」という経営をすることも共通している。
そのための主たる戦略が
M&Aで、将来有望で今後の成長に必要なことを他社が先駆けて始めている場合は、買収によって成長を自社に取り込む果敢な戦略を続けており、その結果としての顧客数の増加は順調だ。


その結果現在の両社は、各々のビジネス領域においてワン・アンド・オンリー企業に到達しており、同業のライバルは多数存在する(業界としては、win&winでシェアの奪い合いには到達していないから)が、ライバル企業の規模は両社にはるかに及ばないという業界の巨人」だ。

amazon



salesforce.com




100倍以上の天文学的なPERからは随分と正常化してきたが、それでも普通の投資家は腰が引けるPER水準にある。
その意味では、信じる者だけが救われる。

ベゾス教、ベニオフ教を信じますか、あなたは?

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2016年8月14日日曜日

社会が育てる子供_6

都市において、夫に先立たれた妻と子供の養育や、労働するにはハンディキャップを持った人間への援助などを、都市コミュニティの構成員が全員で担当するなどという合意は無い

手間暇拠出という強制的な制度もない。

集団就職時代以降は、すべては政府、自治体という公的な第三者が担当している。

子育てもそうだ

田舎のコミュニティにかつて存在した「見守り、管理監督、教育」という機能は、現代社会には全く存在しない。
その
すべては家族が手間暇かけるか、金を払って依頼するかになる。

コミュニティ構成員のお互いの手間暇が金銭負担に置き換わったのだ。

そうなると、
払った税金を取り戻すのが当然という権利意識が芽生え、社会に対する貢献や義務という考え方が後退した。

社会的保障のために集められた資金プール(年金基金、福祉予算など)に対して、「私は困っているのだから、金をもらいたい」という人が増加した。
原因が私の怠惰だとしても、私は現実に困窮しているのだ。
お前ら(=私以外のその他大勢)は、私を助ける義務がある。
私が十分に満足するためには、
適正以上だと思われるレベルの福祉が欲しいし、それを保障するのが税金を徴収しているお上だと考える人が激増した。
適度な福祉が、過剰な福祉に膨張したのだ。

子育てを社会に要求する側は、過剰な要求をするだろう。そして、その当人は他のコミュニティ構成員に手間暇を拠出することは拒否するだろう。
つまりは、過剰な要求をささえるために、過剰な税金が徴収されるだろう。
金は天から降ってこないのだから。

社会が育てる子供_5

育児の負担に少し遅れてやってきたのが、高齢化した両親の世話だ。
育児は小さな子供の世話、高齢化した両親は大きな子供の世話、ということになろう。
核家族化した現在の現役世代には、農業時代にはなかったようなダブルの負担が重くのしかかった。
その負担を軽減するために、かつての農業時代のように、社会が子供を育て、社会が高齢者の世話をする、という制度に回帰することを望むかもしれない。

社会とは何だろう?
現代社会は、「何か優しく、裕福で気前よく金を払ってくれる第三者的なモノ」ではない。

現代社会は、核家族の集合体だ。
現役世代全員が手間暇を拠出して協力し合うのが現代社会なのだ。
つまり、農業時代のように社会が世話をするとは、現役世代のあなたは世話をするという事なのだ。
それが成立する時には、夫婦共働きが当然だろうし、勤務形態も夫100%+妻0%という労働から、夫70%+妻60%という勤務時間になるだろう。(夫:9時~15時、妻:12時~17時というような)
所得は、100から130に増加するだろうが、共働きに付随する支出も増えるので、実質的な所得増加は約10だろうと思う。


社会に変わって子供と高齢者の世話を担当してくれる可能性があるのは、世話をビズネスとする企業だ。ビジネスだから、この企業で働く労働者にフェアな給料を支払う必要があり、経営者と株主や出資者にもフェアなリターンを提供する義務がある。ビジネスは趣味や施しではない。

農業時代では、共同体としての損得勘定があったにせよ、慈悲の融通(一種の地域内保険制度、地域内所得の再配分)がコミュニティ内部で機能していた。
ただし、誰が払い、誰が受け取っているかの対応関係が見えていた。コミュニティへチャリティする側には道徳的義務感があり、受け取る側には感謝の念があった。さらには、コミュニティ全体の負担能力が見えるために全員が限度を認識できた。
そして、コミュニティとその相互扶助のシステムを維持するために、構成員は一定の時間と労力を提供する義務を負うのだという合意があった。

集団就職で田舎から都市に移住することは、田舎のコミュニティに対する義務から足抜け
することを意味した。

古い因習、負担、束縛から逃れて、自分で稼いだ収入から一定の税金(=金)さえ納めれば、時間と労力(=手間暇)を提供する義務を免れることができた。

集団就職者を採用した企業は、義務から足抜けした労働者を必要としていた。
採用した労働者が定期的に田舎に帰って「手間暇がかかるコミュニティに対する義務」を果たすようでは困ると考えていた。

だから、企業「社内福祉=終身雇用」を提供することが、労働者を田舎のコミュニティから足抜けさせる事への免罪符だと考えたと解釈できる。
厚生年金の保険料を半分企業が負担するという制度も同じような趣旨だ。

コミュニティから足抜けするために支払うお金(労働者の税金、企業の各種負担金)は、時間と労力の提供という「手間暇」に比べれば負担感が少なく、かつ経済的にも安価だった。
経済的な算数の答え(有利不利、損得勘定)は、「都市化=負担の少なく、自由で裕福な生活」であった。
コミュニティ内の相互扶助システムのない都市部では、個人主義が謳歌され、少ない納税&多額の福祉が住民の要求となっていった。

社会が育てる子供_4

そもそも福祉とは一定の集団(コミュニティ)の中で生ずる「非常にかわいそうな事態への適度な救済」制度だ。

夫に先立たれた無資産の妻と子供の養育に対する援助制度や、労働するには大きなハンディキャップを持った人間への支援制度などは、その代表例だ。

コミュニティにおける福祉の大原則は「全員が相互扶助に参加する」である。
福祉は
天から降って来るものでもなく、第三者が恵んでくれるものでもない。
参加とは「手間暇の拠出」という負担を引き受けることだ。

相互扶助への参加は、社会(=コミュニティ)に対する義務だ。
人間は社会的な生物であり、自分以外の人間が貢献して作り上げた社会システム生活の基盤として利用しながら生きている。
その社会システムを維持するために、全員が社会に対する貢献を果たすことが求められている。

1.社会とは、家族・一族、地域社会、国家、人類という区分と広がりを持つ。
2.貢献とは社会の役に立つこと、つまり他人に貢献することだ。
3.役に立つとは、社会(=他人)が「それを貢献と認める」ことだ。

人間は、隔離された自給自足生活を営んでいる人を除いて、社会に対する貢献の対価としての所得を得て生活している。
社会的に何も貢献ができない状態になれば、人間は社会的には無価値になる。無価値になれば、受け取り所得が消える。その後はそれまでに蓄えた資産で生活するか、他人の慈悲にすがって生きるか、の二択である。

現代の国家という制度の中では、資産を持たない者は、他人の慈悲(=他人の税金)を国経由で受け取っている。
顔の見えるコミュニティ内の他人にから受け取るのは恥ずかしく、思いとどまり、何がしかの自助努力をする。

しかし、工業化&都市化以降の時代では、
顔の見えない政府に対して、「困っている俺に金を恵むのは当然だ」と政府に対して請求するようになった。

社会が育てる子供_3

集団就職が社会を変えた。

集団就職列車という特別な制度が、1954年~1975年という21年間存在した。
(1)日本社会の工業化の進展と
(2)地域コミュニティの相互扶助システムの崩壊が
同時進行した時代だった。

経済成長による税収の増大が、(2)の痛みをカバーすべく「地方に対するバラ撒き(地方交付税)」がなされた。
また、田舎の労働力を吸収した企業に対しては「社内福祉的な意味合いも兼ねた終身雇用制度」が採用された。

この良き時代は、2度にわたるオイルショックで終わった。



しかし、費用化した子供(農業社会時代は、10歳以上になれば生産的労働者だった)という意識が徐々に顕在化してことにより少子化が進展して人口のピラミッド構造が崩壊し始めた。

同時期に高度経済成長が終焉してして企業の終身雇用と専業主婦を第三号被保険者とする厚生年金制度も維持が困難化し始めた。

農業社会コミュニティでは社会(地域コミュニティ)が子供をはぐくんでいた。
人々は生まれた土地で成長し農業に従事し、結婚してコミュニティの中で子供を育てた。
それが集団就職と同時に始まった工業化の時代(=都市化の時代)ではどうなったのだろう。

コミュニティ(=三世代同居)の相互監視が専業主婦による単独監視(核家族化)になった。
コミュニティの相互扶助システムが、
企業による終身雇用と国と企業が折半する厚生年金や失業保険制度になった。

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社会が育てる子供_2

税金を受け取る側は、払う側の意向に従わねばならない
このことは農業時代でもそうだった。
村の世話役が「払う側」で村の様々な事を担当しており、彼の意向で村の経営が行われていた。

当然のことだが、世話役はボランティアで払う側を演じたわけではなく、世話をすることによる直接間接の利益があったから世話をしていたのだ。


世話役は、村全体の経営が持続するように全員から何がしかを徴収してプール(=税金や保険料に等しい)して、困った人に給付する相互扶助を担当していた。

子供が健康な農業労働力に育つことは、その家庭、村全体、そして世話役という全員の利害が一致していた。
農業時代はコミュニティが直接間接に子供の面倒を見ていた。子供の行動に村人が興味をもっており、子供の間違いを矯正したりした。

1950年代以降、商工業の時代になって、村から労働力が都会に流出したが、農業の機械化が進展していたので、村の労働力は困らなかった。
生産性の向上により、都会に出た子供たちに「農産物を仕送りする」ほどの余裕があった時代だった。

一方、都会にでは子供たちには、「村の世話役が担当していた相互扶助」が消えてしまった。
  

社会が育てる子供_1

農業が主たる産業の時代は、地域住民全体が共同して農作業を行っていた。子供は、そのコミュニティの労働力として位置づけられていた。

田植え、稲刈りなどなどの農作業は一気にやってしまわねばならない。村人が総出で各田んぼを順番に回って作業する。
当時の農村は、ある種の運命共同体的な性格を持っていた。

共同体から見れば、子供は将来の運命共同体のための労働力だから、子どもをコミュニティ全体で見守り、育てるという思いがあった。

工業化の時代になると、子供は法的に認められるまで(中学を卒業するまで)は、労働力として使えなくなった。
商工業の企業からすれば、家庭が育ててくれた「生産年齢に達した人間」を「定年までの期間限定」で雇用することが可能になった。

つまり
家庭(=夫婦)は、商工業企業のために、コストを負担して子供を育てる工場になったのだ。

かつてコミュニティが負担してくれた「見守り、育てる」という部分も各家庭が負担することになった。
しかも三世代同居から二世代同居になったので、祖父母の負担の提供も消えてしまった。

その結果、夫婦が子育てのために負担する「お金と時間」は、農業中心の時代よりも大幅に増加した。

その分を補うだけの「夫婦の賃金増加」は起こっていない。


では、夫婦の負担を減らすために、子供は社会が育てる、というシステムにしよう!、、と考えれば、どうなるだろう?
社会という抽象的な存在は無い。存在するのは、税金を払う人と、出入りのネットでは税金を受け取る人という「
2階層」だ。

税金を払うグループはボランティアで払うのではない。
払ったお金が自分の意向に沿って使われて欲しいと考える。それは民主主義の出発点である名誉革命から今日まで変わらない。

つまり、税金を受け取る側は、払う側の意向に従わねばならないのだ。
お金は天から降って来るものではない。
 

NVidia  : ゴールドラッシュの時のジーンズ供給者、今はAI、VR、ARのラッシュ

NVidia

米国株投資をしている人なら知っている2016年のスーパースター的な株だ。

現在の急速な上昇ペースのブル相場は、2015年夏に始まった。
過去5回の決算発表はいずれもpositive surpriseで発表後の株価は大きく上昇している。



同社は、2010年ごろから
1:GPUはゲームや詳細な図面などのグラフィックスをPCスクリーンに描くチップに留まらない
2:特定分野で求められているhigh speed computingに最適なチップとしての用途が拡大するはずだ

と、信じて巨額投資をしてきた。



当時は、
何を気が狂ったことを言ってるのだ、馬鹿じゃないの
コンピューターのチップでIntelに挑戦するなんて、AMDの二の舞だよ、
などと悪口
を言われた。

スマホやタブレットの伸長でPCの販売台数も伸び悩み、ゲーム・オタクだけに依存するグラフィックス・チップなんか終わったビジネスと馬鹿にするアナリストが増加した。

しかし、2012年を気に風向きが変わった。
人工頭脳分野が様々な分野で人間を追い越す成果が出始めた。
AI用コンピューターにGPUが使われ、それ無しではAIはほぼ不可能だと言われ始めた。


そして、グーグルのAlphaGOが登場した
2015年10月:ヨーロッパ王者樊麾に5-0で勝利
2016年3月:世界戦優勝者李世乭九段に4-1で勝利

同時期から、自動運転がメディアで盛んに取り上げられるようになった。

これで一気に世の中の実業界の担当者に火が付いた
証券アナリストの過半数は、依然として懐疑的だった。

証券業界の風向きが変わったのは、Dの決算発表の時だ。
おそらくアナリストの3割程度ががぜん強気になった。

そして先週のEの決算発表
Conference Callを聞いていて、Dの時の4倍ほどのアナリストが質問した。
おそらく、5割程度のアナリストが、これはブームが来ると感じただろう。

Eの決算前後の株価の動きは下図の通り



決算当日は、引け後の決算はpositive surpriseだから買えば儲かるという予想が増えて①のように上昇した
決算は、その予想をも上回る好決算だったので、②のように上昇した。翌朝の寄り前は③のように利益確定売りが出ていた。
市場がオープンすると、アナリストの上方修正に呼応した買いが入って63越まで急上昇、その後に利益確定売り、、そして再度買いがじりじり入って63でクローズした。

さて、来週から年末まではどうなるだろう?



Intelとのクロスライセンス契約から入って来る収入が消える2018年1月期のPERは28.8倍だ。
平常心だと、これ以上のPERの上昇を期待するのはリスクがある。

しかし、8-12月期の業績に関しては、Best Quarter is coming,だと春山は判断している。
売り上げ加速、マージン改善、アナリストの本気度が改善加速、世間の注目度も向上
そんな環境だと、PER30倍を少し超えるだろう。
アナリストの業績予想は、7%程度上昇修正されるだろう。

つまり、63×(30/28.8)×1.07=70、、これが11月の決算発表までに到達する可能性があると推定される。
3か月で、+11%のリターンだ。もちろん直線ではないだろう。

なお、春山的お絵かき予想では、大相場6倍の法則から考えて
20×6=120、、、これが最終ターゲットだろうと感じている。
2018年だろう。

AI(人工知能)、VR(仮想現実),AR(拡張現実)のブームが来るとき、、、、
過去のゴールドラッシュの教訓を思い出そう。
自分でゴールドを掘ったり、ゴールドそのもに投資するのでなく、ゴールド・ラッシュで乱舞する人々が消費するジーンズを供給する人に投資する、、その方が安全で確実に儲かった、、ということを


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2016年8月8日月曜日

中国とイスラム過激派:キッシンジャーの遺言

キッシンジャーの国際秩序を読んで考えた。
この本は、彼の遺書だと思いながら読んでいる。


統治のために宗教を利用することは、古今東西の歴史が示してきた。
キリスト教はローマ帝国が採用し、欧州の中世時代では「教皇権力が王権に勝る」状態に達し、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分裂して以降は、国家も両派に分かれて戦う状況になった。

商業と工業が進歩するにしたがって生まれた富裕な新興勢力が増加するにつれて、宗教を「個人の心の中の世界に封じ込めた」世俗政権が支配的になった。
この状況に到達するまでには、おびただしい血が流れた。

今日の民主主義陣営にとっては、中国とイスラム諸国が脅威となっている。

中国は共産党の一党独裁は民主主義よりも優れていると主張して譲らない。
搾取を基本とする「資本主義+民主主義」よりも「『社会主義市場経済+中国共産党の一党独裁』の方が、人民を幸福にするという点で民主的である」とも主張している。

イスラム主義は民主主義と握手できるだろうか?
過激派は、イスラム教によって世界が統一されるゴールを目指すうえで、世俗国家は消滅させるべき対象であり、神以外の人民が法律を作成する民主主義も撲滅すべきもの、と宣言している。

イスラム国家は、過激派の主張を正面から否定できない弱みを持っており、サウジやイランは彼らに直接間接で資金援助(コントロールする意図で)もしている。

また、中東アフリカのイスラム諸国の多くは独裁政権であり、紛争解決に名を借りた民主主義の押し付けは、自分たちの特権を放棄させられると認識しており、援助は受けるが民主化には反対する姿勢を維持している。

世界経済が中国経済に依存する限り、中国共産党の勢力は強いままだろう。
原油価格が高い限り、イスラム過激派は武器を資金を得られ続けるだろう。



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2016年8月4日木曜日

目次 : 中国の民主化

1:イントロダクション
2:民主化を生んだ英国の名誉革命
3:近代化と民主化は別の概念
4:民主化へつながる政治制度も変更が起こる条件
5:共産党の中国
6:現在の中国
7:社会主義とは
8:悩める民主主義
9:2023年前の中国

参考図書
中国(上下):ヘンリー・キッシンジャー
国際秩序:ヘンリー・キッシンジャー
政治の起源(上下):フランシス・フクヤマ

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2016年8月1日月曜日

中国の民主化 (9) 2023年までの中国

1:習近平の評価
共産党が自ら民主化へ舵を切ることは組織論的にありえない。
9000万人の既得権益グループの親分自らが、その権力を手放して
現在享受している便益を他人に無償で譲り渡す行為を決定することは不可能に近い。

民主化で便益を増やせる新勢力に率いられた国民的な運動が起こることが第一の条件だろう。

なお、中国も新勢力が便益を増やす制度が民主主義でも社会主義でもない「第三の制度」を主張するかもしれないそれに中国国民の多数が賛同するなら、その新制度が採用されるだろう。

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中国の民主化 (8) 悩める民主主義

1:問題解決能力を喪失した民主主義
中国に対して民主化を要求する欧米諸国だが、皮肉なことに民主主義の劣化が顕在化している

民主主義は相互譲歩を有権者である市民に要求する制度だ。
意見の異なる相手に対して自己の主張を絶対視し相手に譲歩しないなら民主主義は成立しない。民主主義は多種多様な主張を相互に調整妥協しながら合意点を見つけるシステムであり、
絶対という概念は民主主義とは相いれない

時代の変化に応じて諸制度の改善や変更を必要としている時であるにも関わらず、
1:暴力による変更を封じられ(禁止され)
2:かつ抵抗勢力が「説得による制度変更」に頑として応じないならば
その社会は劣化するしかない。

現代民主主義国家が陥っている妥協なき主張の応酬は、民主主義社会の劣化を示唆している。民主主義が問題解決能力を喪失してしまえば、別の制度にとってかわられるだろう。
 


21世紀になって、民主主義になれば良いことがあると期待して独裁政権を倒して民主化したものの、とん挫するケースが目立ち始めている。

独裁政権を倒してみたものの秩序の崩壊と経済の混乱が長期化して独裁政権時代よりも貧困化してしまい、しかも同胞同士が殺しあう泥沼の内戦が長期化しているアフリカはその代表例だ。
2010年の一瞬のアフリカ春の夢の後、あっと言う間に民主化の夢は破れ、現在は中東アフリカ100年戦争とでも言うような状況に陥ってしまった。

民主主義を勝ち取るには歴史的には長い時間と多くの血が流れた。
そうやって勝ち取った民主主義だから、民主主義を維持する努力も必要である。勝ち取ったからと言って、自然に維持されるものではない。

民主主義は、参加主義、多数の市民の政治参加(例:投票という政治的な権利の行使、もしくは恣意活動としてのデモ)を要求する制度だ。政治への参加率が減れば、政権担当者の政策に民意が正しく反映されず民主主義に対する信頼が低下する。

2:新制度は新勢力が勝ち取ってきた
英国の名誉革命当時、工業化商業化による恩恵を受けて勃興してきた新勢力は高額納税者だった。彼らが王権による独裁主義を廃し、自分たち(=新勢力)に都合のよい制度である代表制民主主義を勝ち取った。

現代において、民主主義が問題解決能力を喪失したままの状態が長期化し、現在とは異なる新勢力が台頭して彼らが政治的に「まとまった勢力」として動員されれば、新勢力に都合のよい「**主義化」が起こる可能性がある。
それが何なのかは予想ができないが新勢力が利益を得る政治制度だろう。そして、それは現在の民主主義とは異なる別の制度であろうと思われる。