2014年2月24日月曜日

政治と経済のせめぎ合い : 「政治のウェイトが増す」フェイズ

「経済>政治」の自由放任主の資本主義は時代遅れと葬り去られた。
「政治>経済」の共産主義社会主義は破たんした。

生き残っているのは、民衆ベース(もしくは弱者ベース)の民主主義

WW2終了後、政治と経済のバランスは、せめぎ合いが続いている。

今は「政治のウェイトが増す」フェイズにある。
自由奔放に振れた資本主義の失敗(サブプライム証券化の破綻、リーマン・ショック)が露呈したからだ。


一方、弱者ベースの民主政治の腐敗も、PIIGS危機など国の借金の増大として露呈している。
弱者ベースの民主主義は、負担と受益のバランスという感覚が麻痺しているからだ。


生き残っている政治システムはもう一つある。
独裁体制だ。

これには様々なバリエーションがある。
多くは民主的なフリをしている。
北朝鮮のように個人完全独裁、中国の一党独裁、その他管理された選挙によって選出された形式民主主義の独裁体制も多数ある。


「政治のウェイトが増す」フェイズは2009年ごろから明確化した。
おそらく、いまだ折り返し地点にも至らず、というフェイズにあると思う。

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2014年2月21日金曜日

協調の恩恵を受けるためのコスト負担

世界平和と世界経済にとって、

1:米中が対立するよりは、協調するほうが好ましい
2:米中協調にはコストが発生する。

3:「世界平和と世界経済に対する恩恵」 > 「米中協調に必要なコスト
4:コストを拒否するよりも、甘受する方が、米中はもとより、両国の支配圏にある国、さらには第三者的な立場にある国にも、「恩恵>負担」となる

5:一部の国には精神的に負担を受け入れられない状況が存在するが、それを説得する役割は米中になる。

6:日本の負担は何だろうか?
これから、それを真面目に考えてみたい

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2014年2月11日火曜日

事前にすべての紛争を予見して、法律を制定することはできない

立法者は、事前にすべての紛争を予見して、法律を制定することはできない。

したがって、紛争に際して担当裁判官は、正義感によって「予見されなかった紛争」を処理することになる。

国内という一個の強制力が存在する倍、または、同じ民族・同じ宗教という価値観が共有される場合は、正義感による処理が受け入れられるだろう。

しかし、裁判官の正義感と紛争当事者の正義感が異なる場合は、不適切な裁判官という言い争いになる。国際紛争、宗教対立、民族対立は、その代表的なものである。

関連する過去記事 : 正義、正論、良い製品

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2014年2月8日土曜日

もう一人の自分は、可能性

なかなか自分の殻を破れない、自己変革ができない、そういうジレンマがあるなら、「もう一人の自分」を作ってみよう。

ネット空間に別人格の自分を作って、積極的に前向きの発言をしてみよう。
時間が経過すれば、あなたに向上心があるなら、「有言実行&言動一致」の心が、少しずつ現実のあなたを変え始める。

もう一人の自分を積極的に活用する、お金はかからない、心の持ち方次第だ。

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2014年2月1日土曜日

正義、正論、良い製品

あなたが「当然の正義や正論」と思っている事は、「あなたが思う正義や正論」であって、
隣町に住んでいる人には、あなたと少し異なる「彼、彼女らの正義や正論」がある。

ましてや隣国や他民族、他宗教の人々は、あなたとは明確に異なる正義や正論を持っている。

価値観、考え方、習慣、生活環境、富裕度、生きている時代、これらの後天的なファクターが各自の正義や正論を作り出す。
そこに100万人いれば、100万通りの正義や正論が存在し、100万個の正義や正論は、相互に影響し合い、相互に少しずつ変化をし続ける。

交流の少ない島国住民の正義や正論は類似しており、バラつきが少ないのも当然だし、他民族が群雄割拠する地域では様々な正義や正論が並存しバラつきが大きいのも当然の帰結だ。

国際政治の交渉事とは、まさに異なった正義や正論を持つ他人との交渉だ。

だから、自分の考える正義や正論を振り回しても効果が少ないばかりか、逆効果でもある。
相互不信が高ずるばかりだ。

また、時間が解決する、と考えるのは正反対で、黙って時間が過ぎれば「実力行使の結果、実効支配の現状を容認」したと看過されるのが、国際政治のルールだ。
反対であれば、明確に異を唱えなければ、他人には伝わらない

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似たような事だが、良い製品という概念がある。

良い製品なのに売れない、と不満を述べる人、企業は多い。

上記の正義ら正論の話を読めば理解できるように、
良い製品とは、不満を述べている人や企業にとっての良い製品であるが、
彼らが売りたい対象顧客にとっては、良い製品では無いのだ。

良い悪いは、正義や正論と同様に、価値観、考え方、習慣、生活環境、富裕度、生きている時代、といった後天的なファクターに依拠している。

対象顧客のほんの半歩先を行く製品なら、少しだけ待てば売れ始める。

しかし、二歩も三歩も先を行き過ぎた製品なら、なかなか顧客は理解できないし、
そもそもオタク程度の少数しか「良い」と思わないものは、永遠に待っても少量しか売れない。

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